実習 → 演劇プロジェクト<生きる視点プラス>
石巻「からころステーション」実習レポート
2018年2月9日〜2月11日
東日本大震災から7年が経過しようとしています。現在も復興に向けた様々な活動が行われているところです。自然災害の多い国でありながら、災害支援において日本の精神科医療はまだまだ発展途上といわれます。そうしたなかで石巻の災害支援を目的としてつくられた「からころステーション」の実践は、先進的な試みとして注目されています。
2018年2月9日〜2月11日、「生きる視点プラス」企画に参加している学生は、からころステーションに実習に行ってきました。災害支援のなかで生まれた実践について、また震災から7年となる今の課題などについて、学生たちは実際に現地に足を運び、肌で感じてきました。
【2月9日】
宮城県石巻市での被災地実習のため東北にやって来ました。東北の空の玄関である仙台空港もかつて津波によって甚大な被害を受けた場所でした。
これから実習先である「からころステーション」に向かいます。からころステーションは地域の精神保健を担うNPOで、震災直後の被災地支援のためにできました。海外からも視察が来るような先進的な活動をされています。
【2月10日】
午前中はからころステーションがカバーする地域を案内してもらいました。「復興支援地図」を見て、被害が広域であったことを改めて知りました。
震災から6年が過ぎようとしています。ごみは撤去され、土地は整備されていました。住宅地も高台に移っています。しかし現在でもまだいろいろな場所で護岸工事が進行中です。
大川小学校跡地に来ました。ここでは74名の小学生が避難の失敗により津波で亡くなったり、行方不明になったりしました。学生たちの背後には小学校の廃墟が残されています。その光景に自分の無力さを思い知ります(写真を撮る気持ちにはなれませんでした)。
大川小学校に関する記録です。
午後から市役所の提供する街歩きに参加。語り部さんは地元の方で、震災の前・その渦中・その後の様子を語ってくださいました。
復興を契機に新しい文化が育ってきています。二階部分はシェアハウスで、ボランティアの方々や旅行者が一時的に住んでいるとのこと。震災によって地元を去った人びともいれば、ボランティアに来てここが気に入り、そのまま住み着く人びともいるのだそうです。それでも人口流出の方が多く、この先のことについて現実的な認識を持たなければ、と語り部さんは話します。
日和山。震災のとき、多くの人々がここに避難してきました。優れた景勝地で、かつては松尾芭蕉も訪れたそうです。ここから平地を眺めると何もない場所が目につきます。人が戻ってきていないことが視覚的にわかります。語り部さんが「子どもの頃に遊んだ路地も何もかもがなくなってしまって、その記憶もおぼろげになってきています。故郷がなくなってしまったようです。」と話していたのが印象的でした。
津波はこの川を遡上したそうです。そのためここにも高い堤防が作られていくそうです。語り部さん曰く、「海を見て暮らしてきたので、海が見えないと不安になる。だから本当は海が見えなくなるような高い堤防は作りたくない」という思いが住民のなかにあるそうです。
石巻市復興まちづくり情報交流館。ここでは石巻市の歴史や日本を襲った津波の歴史、そして石巻市の復興のヴィジョンなどが展示してあります。外国人の方が館長をしており、外国人旅行者への案内にも力を入れています。
日本を襲った津波の歴史について話を聞いている様子。
【2月11日】
学生たちがからころステーションで実習中に、別行動で現地調査。牡鹿半島にある港のひとつ。手前の大きな船は捕鯨船だそうです。このあたりは捕鯨で栄えていたようです。
近くには女川原発がありますが、ここは高台に建てられていたため津波による甚大な被害は免れたそうです。震災のときは地域住民の避難所にもなっていました。
最終日の記念撮影。お忙しいなか、三日間の実習を受け入れていただきありがとうございました。学生にとって有意義な学びの機会となりました。
さいごに・・・
震災で漁業から離れざるを得なかった人々もいれば、残ってがんばっている人々もいます。復興のために漁港から観光地へとシフトした町もあります。そういった社会的背景を頭に入れながら食べた海鮮丼はとても美味しかったです!
文と写真:山森裕毅 COデザインセンター特任講師(プログラム担当者)