治療儀礼ノート(進行中)
この論文のオリジナルは、池田光穂「治療儀礼の研究―仏教寺院の事例から」,『医学史研究』,No.56,p.36-46,1982年12月、です。原稿は手書きで書かれたので電子テキスト化されていません。現在OCRなどをつかって再入力中ですが、記述した内容には古いものがあったり、その後の著者の見解の変化もあり、原著を忠実に再現したものでもありません。
原稿を書き上げてからすでに30年近くが経過していますが、まだ研究途上にあります(ほとんどアントニオ・ガウディ級?)。あしからず。
──精神的には人間は不可分のものとしてではなく、可分のものとして自らを癒す(グードルフG. Gusdorf, L'Experiecnce humaine du sacrifice, 1948 p.178.向井元子訳/Evans-Pritchard, Nuer Religionに引用)
本稿において、筆者は日蓮宗による「病気治し」の加持祈祷の儀礼の記述と、その解釈を取り扱うことによって、日本の仏教的な文脈のなかに展開された「民間医療」に関する事例報告をおこなう。
I.儀礼の内容
I.1 調査の概要
調査資料は、大阪の衛星都市の市街地にある日蓮宗の寺院でおこなわれた、病気平癒の加持祈祷の儀礼に関する寺院関係者への聞き取りと、そこに訪れる信者(★スポラデックに訪れる/固定客→修論参考)へのインタビューならびにアンケートをおこなった。
寺院側の歴史的な説明によると、この寺院は文録年間(1592-95年)に京都の日蓮宗僧侶によって開基されている。そして慶安4(1651)年には、この地域の城主の祈願所とされ、それ以降「病いを除く寺」として有名になったといういわれがあるという。
調査をおこなった1981年には、時節に応じた病気平癒の祈願と、毎月一度の祈願とで、年間13日の祈祷がおこなわれていた。本稿の事例は「中秋の痔封じ」(9月13日)と「晩秋のぜんそく封じ」(11月1日)を中心に調査をおこなった。
I.2 祈願者はどのようにして祈祷にくるのか?、そして、どのような体験をするのだろうか。
ここでは、筆者によって得られた資料(池田,1982)――おもにアンケートと聞き取り――を中心にして、祈願者の典型的な像を提示してみたい(★構築の妥当性)。すわなち、祈願にきた人びとのなかでの多数派を占める、初老(60歳前後)の婦人を、ここでは想起し、彼女が祈祷のために寺院にやって来て、そこから出るまでを、得られた資料から叙述風に、以下に提示してみよう。
なお、[ ]内は、日蓮宗寺院において使われる祈祷、すなわち「修法」用語であり、後半に触れる祈祷の解釈のなかで用いられる。
【出来事】
彼女は「ぢ」の悩みをもっている。一般に、この病気は「恥ずかしい」病気であり、また、病気そのものは致命的な脅威を与えないものと見なされている。したがって、手に負えない痛みや不快感を覚えてはじめて病院を訪れるが、ふだんは薬店の市販薬や民間医薬を利用している。
8月下旬のある日、彼女は市営バスの車中で一枚の吊り広告をみた。それには、白地に大きく赤い文字で「ぢ」と書いてあった。近づいて読んでみると、大阪の近郊都市の寺院で「ぢのまじない」をおこなっているとのこと。広告には寺の宗門は書かれていなかった。彼女と同年代の友人には「ご祈祷」によって病気が治った人がいる。また、それに類する話は、テレビや週刊誌などにおいてしばしば見聞きしている。自分の病いが祈祷で治るなどということは半信半疑ではあるが、「マジナイ」のおこなわれる場所と日時は憶えておいた。
祈祷の日が日曜日であることも手伝って、幸いにも夫の同伴で寺院を訪れることが叶った。自宅から寺までは私鉄を利用し、所要時間は約一時間あまりであった。寺院に至る道筋には、祈願に訪れる人たちが多く目についた。寺院の山門ををくぐろうとしたとき、鐘や読経の音が聞こえてきた。本堂に隣接した建物の入口には、多くの祈願者が列をなして受付の申し込みをしている。人の多さに彼女はすこしためらったが、また安心もした。人の多さは、同じ病気をもった人の多さであり、またその「ご祈祷」が流行っていることの証でもあると感じたからだ。
時刻は昼少し前である。受付で、中年の女性から「ぢ、ですか?」と聞かれたので、「はい」と答える。祈祷料と引き換えに、大きく赤いスタンプで「ぢ」と押された長細い和紙と、祝い用の水引が表に印刷してある紙に包まれた数センチ角のヘチマ、寺院の縁起などが書かれたカラーのパンフレット、祈祷日の案内とヘチマの取り扱い方を書いたチラシなどを手渡された。受付のとなりのテーブルの上で、別の女性が、先の細長い和紙に、氏名、住所、数え年を記入してもらった。
祈祷を待つ人で待合室はごった返しており、祈祷は順次おこなわれているようだった。次の祈祷が始まるまでのあいだ、そこで2人は待つことになった。奥の部屋では、別の女性――首に掛かった輪袈裟から尼僧かなにかだと察せられた――が3人座机についている。女性たちの前には、祈願主の代わりに代理で祈祷を受けにきた人たちが並んでいる。彼女も夫も、まさか代理で祈願が受けれるとは思わなかったので、意外な感じがしたがすぐに事情が呑込めた。何度もこの寺に祈願に来ている人たちだったのだ。3人の女性たちは、代理の人たちがもってきた祈願者(=病人)の下着に「朱」でマジナイの印(=呪文)を、聞き取れないほどの声だが祈祷の文句を唱えながら書き込んでいた。書き込まれた下着は、やはり水引が印刷された紙に包んで代理人の手に返され、祈祷を受けるまでそこで待っているように指示された。朱で下着に書き込んだ女性たちは、それを手渡して返す際に、「お大事に」と愛想良く声をかけているのが印象的だった。
やがて、本堂のほうからどっと人が押し寄せ、足早に去って行った。寺の人から声がかかり、待合室の人たちが本堂に入るように指示され、彼女は夫とともに本堂に入った。そこは線香の煙が漂い、祭壇の奥には本尊らしき像が見え、その前には供物があった。すなわち、自分たちがよく見てきたふつうの仏教寺院の内陣ととくに変わった印象は受けなかった。本堂には座布団が数十ほど――この時は六十数席――用意してあった。また後方の端には十席あまりの椅子席もあり、座布団に座れない人に準備されていることが分かった。彼らは、本堂の中央近くに本尊[一塔両尊士と曼荼羅]を前にして座った。本堂に入場する際に、墨染めの袈裟を着ている「小僧さん」が氏名と年齢を書いた紙を集めている。小僧さんの少しはにかんだ可愛いらしい仕草は、本堂で待つ祈願者の微笑を誘う。この「小僧さん」は住職の九歳になる子息であるが、このことは、彼ら2人をはじめ誰も知らなかった。
座が十分に詰まったかと思える頃に、住職[修法導師]以下、白い袈裟を着た数人の僧侶[修法師:日蓮宗の加行師の有資格者]たちがさっそうと登場した。本尊を前に、僧侶たちは横一列に座った。かれらは、剃髪しているか、あるいは髪を短く刈り込んでおり、またその体格もがっしりしているように見える。そのせいだろうか、正座していた足だがもう一度座りただした祈願者もおおく、それまであった雑談も止んだ。マイクを通して、住職が最初に口上のようなもの[勧請、祈祷言上、あるいは「申しあげ」]を唱えている。そのことばの内容の詳細は不明だが、病気の平癒についての述べていることは彼女にも明白であった。夫は正座して手を膝の上に置いている。彼女は両手を低い位置で合掌させた。他の祈願者もおおむねそのようである。
口上が止んだあとは、僧侶全員による読経[法華経如来寿量品第十六]が続いた。読経には、木魚ではなくそれよりも音色が明るくすこし硬い音のする仏具[木鉦モクショウ]によるリズミカルな音が堂内に響いている。読経が続くなか、住職は立ち上がり、正面に向かって火打ち石を打った。そして、本尊を背にして祈願者の側に向き、同様に住職は打ち、彼女にもその火花が見えた。引き続いて、住職はカスタネットに似た、鋭く「カチッ」という大きな音のする仏具[木剣ボッケン]を祈願者の方に向かって振りおろす。その仏具は、住職の右手に持たれており、左手は腰にあてられている。座っていた他の僧侶たちが全員立ち上がり、その音のする仏具をもって振り返り、祈願者たちと対峙するかたちになった。
住職の先導により僧侶全員による祈祷がはじまった。この仏具[木剣]はひとつでもかなり大きな音がするので、数人の僧侶がリズミカルに鳴らすと、きわめて大きな音が耳に響いてくるのである。そのためだろうか、彼女の周囲の祈願者は合掌したり、その体を深く折り、頭を垂れたりしている。
これが終わると、僧侶たちは本尊の正面に座りなおした。住職はふたたび病気平癒の祈願を始めた。その詳細な内容を彼女は知るよしもなかったが、最初に聞いた祈願よりも、違和感なく聞けたし、また、より「わかったような気がした」。住職はそれが終わると、祈願者の住所と名前を次々と読み上げていった。マイクを通した住職の声はすこし聞き取りにくかったが、彼女自身の名前も呼ばれたことに気づいた。この間、残りの僧侶たちは、祈願者の列に入り、祈祷に関することば[撰経頂載文]を唱えながら、錦織のような美しい布で包まれた筒[ハチノマキ、あるいは撰経]で祈願者の頭、肩、背中、腰などを呪文を書くようにしてさすってゆく。彼女と夫も合掌しながらこれを受けた。祈願者の代理人には、先に受付で施してもらった水引の印刷した紙で包んだ下着を、僧侶が祈願者と同じようにさすっている。
それらを終えた祈願者には、別の僧侶が表面に呪文の書いてある和紙の小さな包とお守り[護符]を配っている。和紙の包には、「高槻■■寺秘傳相承祈祷修法章」(■は寺院名称)という文字が記されている。これらのものは、祈祷の最中には、本尊の前の三方の上に置いてあったものである。これらのものを配り終えると、僧侶たちはすべて正面に戻り、もとの位置に座した。この間、住職による名前の読み上げは続いていた。読み上げのほうが終わると、その紙は壇の三方に返され、住職は再び祈願をおこなった。すなわち、参加した祈願者の病いが平癒し、日々健康で安泰であるように、ということが彼女に理解された。そして、住職は最後に、「南無妙法蓮華経」と唱えて、まず本堂を出て行った。彼に続いて、別の僧侶たちも次々去ってゆき、最後の一人だけが本堂に残った。このときには、祈祷の最中に続いていた鳴りものの音がすべて止み、誰の眼にもそれが終了したことがわかった。ただし、祈願者たちは、そのままじっと座っている。
最後に残った僧侶は、起立し振り返った。彼は祈願者に対して、ふつうの口調で次のように語りかけた。
――お配りした小さな包みの中には、赤い小さな粒が三粒入っています。それを今夜、寝る前に水で飲んでください。また、同時にお配りした「お守り」は、いつも「肌身離さず」身につけておいてください。
そう述べて、僧侶は去って行った。最初の住職の登場から、最後の僧侶の説明が終わるまでは、約二十分程度であった。彼女は、説明を聞いたのち、ヘチマの切れ端の包みに眼をやり、住職が去っていった後、寺院を紹介したパンフレットの間に挟んであった「へちまのあつかい方」と書いてあるチラシを眺めた。チラシには次のような指示を祈願者に求めていた。
――ヘチマは便所の近くに埋めること、毎朝コップ一杯の初水を「ナムミョウホーレンゲキョウ」と唱えながらかけ、それを1週間続けるように。もし(マンション・アパートなどで)埋めることが無理であるなら、箱か植木鉢にヘチマを埋めて便所の近くに置き、これを同様に1週間続ける。箱や植木鉢の場合は、1週間それを終えたあと、今度はどこでもよいので、土の中に移し変えて埋め直すことが必要である。
これらの一連の祈祷が終わった後で、祈願者たちは三々五々、寺院の山門を後にしたが、彼女とその夫もその例外ではなかった。そして、その時になって、初めて訪れた祈願者たちは、この寺院の宗派が日蓮宗であることを初めて知ったのである。ある人が、山門を出るときに「ウチはナムアミダブツやけれど、まあ効くことには別に関係おまへんな」と言っていることを彼女は耳にした。彼女が感じたところによると、祈願者どうしの横の繋がりないようだし、この寺院の住職が誰であったのかも正確には分からなかった――彼女が住職だと思った人がまさにその人であったのだが。祈祷をおこなってくれる住職が自分自身に直接祈願をやってくれると思っており、その点では彼女はあてが外れた。しかし、「病いは気から」と言うし「何事も信じ様」なので、帰宅後は最後の僧侶が指示したとうりのことをおこない、その日を終えた。
以上が祈願者のレベルで体験することができると考えられることがらの概要である。彼女がこれらの一連の治療儀礼(★用語初出?)をどのように理解し、それを解釈・意味づけてゆくかを単純に予測することは困難である。
なぜならば、これらの儀礼の意味とその理解は、彼女の依拠している生活世界(★用語)との関わりを知らずして論じることはできないからである。なぜなら、祈祷の日にこの寺院を訪れる約一千人前後の祈願者のなかには、今回1回きりの者、ドラマティックな体験を持たないながらも長きにわたって「お参り」にくる者、そして早い時期に「治った」という経験をする者など、多様だからである。彼女がもし、一回きりの祈願者であったにせよ、これから繰り返し寺院を訪問する「信者」になったにせよ、このような治療儀礼が全国各地でおこなわれていることは衆知のことであり、現代人に対する一定の動員力が存在することを否定するものはいまい。
ここで筆者が意図したいことは、このような現象を「驚くべきこと」と評価することでもないし、また「現代にも迷信が脈々と息づいている」とすることでもない。むしろ、我々が、そして彼女が体験した儀礼が本来もっていた意味と、その儀礼の場に居合わせた際に感じられる理解のギャップについて論じたいのである。すなわち、儀礼は教義上はどのような意味が込められているのか?、そのような儀礼はどのような形で我々の前に提示されるようになったのか?、そして、その儀礼の現代的な意味とは何か?、ということなのである。
U 治療儀礼の解釈 【この部分未了】
治療儀礼をどのように解釈してゆくかには、おおまかに2つの次元があるように思われる。
ひとつは、その儀礼を構成する具体的な要素(病気の「封じ込め」の作法、教典、呪具など)の教義上の解釈である。この教義とは、この儀礼を司った僧侶――人類学では職能者と呼ぶことがある――の属する宗派である日蓮宗(★セクトと儀礼上の差異についてコメントする)における教義と、ひろく仏教一般から導き出される教義のことである。ただし、日蓮宗を含めた日本における仏教の展開には、今日では「民俗宗教ミンゾクシュキョウ」と呼ばれる日本社会に独特な土着的な信仰・信条の影響をさまざま局面で受けているので、ここでは個々の教義の厳密な区分はおこなわない
他のひとつは、病気治療の儀礼を支えている日本の社会的・文化的文脈上の解釈である。この・・・・・・・
■.■ 封じ込め儀礼の象徴的解釈
■ 封じ込め儀礼
この儀礼は「痔封じ」の名のとおり、痔という病気の実体である「病魔」をヘチマの種子の中に封じ込めてしまうことを目的としている。しかし、それは無規定に封じ込めてしまうわけではない。定められた専門家(職能者)が、ある決められた条件のもとで作法を行なうことが必要である。
また、「――封じ」という言葉には、物理的に病いの状態を封じるという意味の延長として、病いの状態を<差し止めること><禁止する>という語感もある。
封じ込め儀礼の作法には、時間的経過に沿って、(i)さまざまな守護神仏を呼ぶこと[勧請]、(ii)読経、(iii)火打ち石および木剣による加持[九字]、(iv)神々に当病平癒を願い出ること[祈願]という一連の要素がみられる。
これらは、日蓮宗の信徒が日常おこなう勤行の作法と類似した展開を遂げている。すなわち、順に(1)奉請、(2)三宝礼、(3)勧請、(4)開経偈、(5)読経、(6)祖訓、(7)唱題、(8)宝塔偈、(9)回向、(10)四誓、(11)三帰、(12)奉送、である[註(8)(9)](★各項目の簡潔な説明いる?)。この勤行に、祈りのために礼を尽くし、神や仏を呼び、それを経文などによって讃え、また礼を尽くして神仏を帰す、という手順を読みとることができよう。
必要な神仏を呼び、それを讃えた後、帰す、という勤行の作法のなかに、「病気平癒のための祈願」を加えれば、それは――少なくとも構造的には――封じ込め儀礼になりうる。従って、封じ込め儀礼は、勤行という日々の儀礼が特殊化・専門化したものであるとも言えるし、また勤行という儀礼展開のパターンが封じ込め儀礼にも反映しているとも言えるのである。
特別の祈願の意味を込めた封じ込め儀礼も、勤行という日々の儀礼にも、いわゆる「儀礼の一般的構造」ともいえる共通点がある。それは、儀礼は、日常的な時間と空間のなかに、特別な意味をもった別の時間と空間を創出するというものである(ジェネップ・リーチ[リーチの図表改変(→本稿用に)の掲載]・ターナー)。
ここで取り上げた日蓮宗のふたつの種類の儀礼は、ともに日常生活のなかに異なった時空間、そのなかでも特に「聖なる空間と時間」(エリアーデ)を創出するための、一連の儀礼行為の要素の連鎖が見られる。すなわち、@儀礼を始める、A儀礼の中核的部分を遂行する、B儀礼を終える、ということである。この三要素は、@’日常の時空間とは異なった<聖なる時空間>へ移動するための結節点を作り出す、A’聖なる時空間のなかで儀礼の<象徴的>目的を達成する、B’日常性に帰還するための合図を与える、という役割を担っている、と解釈されよう。
封じ込め儀礼の背景には、<ぢ>という<病い>がどのような結果生ずるのかという観念[の体系]、すなわち病因論(etiology)が存在する。そして、<ぢ>を含めた個々の病いの病因論は、より上位の包括的な病因論に統合されていると、仮説的に考えることができる(★この部分を洗練させること)。ここでは、封じ込め儀礼を、日蓮宗の文脈よりも仏教的病因論という観点から考えてみよう。
大乗仏教における病因論の例として、天台大師智ト(てんだいだいし・ちぎ:538-597)による『魔訶止観』(10)および『天台小止観』(11)[★後者の前者に対する位置づけを明示する]を例にあげよう。
『魔訶止観』によると、病いが起る原因として次の六つのものが挙げられている。すなわち、
@ 四大(地、水、火、風)の不順[★簡潔な説明が必要/以下同様]
A 飲食不節
B 坐禅不調
C 鬼神が便(たより)を得る‥‥病魔が身体に侵入する D 魔の所為
E 業(カルマ)によるもの
である。
これらの一連の原因を、さまざまな社会で知られている病因論によって[→リヴァースの論を整理しておく]グループにわけてみると次のようになろう。すなわち、@からBの病因は<自然の体系との調和が乱れること>である。また、CとDは、身体の外部から<ある種の存在(エージェント)>が身体に影響を与えることである。そのうち、Cは<からだ>に対して、Dは<こころ>に対して作用する要因であると考えられているようだ。そして、Eは、輪廻思想における業(カルマ)であり、いわゆる<病気の宿命論>に相当する。この最後の考え方は、病いという現象に対して、具体的な原因を<因果的に>説明し、直接その原因を提示することがない点で、@からDまでの病因とは性格を異にする。
さて、ここで焦点となっている封じ込め儀礼における<ぢ>という病いの病因論にもっとも近いものは、Cの<ある種の外来のエージェントがからだの内部に侵入する>ことである。
この止観において、右に挙げたそれぞれの病因に対応して、「治病」の方法がやはり、それぞれ準備されている。C「鬼神が便を得る」ことに対して、『摩訶止観』は、(a)「観行の力」すなわち、一種の瞑想や行と、(b)「大神咒ダイジンシュ」つまり、呪術的行為をもって対処せよと述べている。同様に『天台小止観』は、「鬼病」には「強心を用い呪を加える」としている。
■ 病いの実体化のプロセス
日蓮宗における封じ込め儀礼には、初めに紹介したように、病魔をヘチマに封じ込めるものの他に、「筒ツツ封じ」(12)と称して青竹の節管のなかに封じるものがある。封じ込められる病気の原因、すなわちエージェントには、「人に著する鬼魅」「邪霊」「妖鬼」「病患苦悩」などがある(13)。
病魔を封じ込めることは、日蓮宗に限ったことではない。密教系の修験者もこのような治病方法を試みる。例えば、修験道における調伏儀礼には「卵封じ」(15)と呼ばれるものがある。これは、やはり病気の原因を鶏卵に封じ込める作法を行い、その後、これを土中において腐らせる手続きを踏む。つまり、日蓮宗の儀礼である痔封じにおけるヘチマが、修験道の調伏儀礼では鶏卵に変わっており、病魔の退散が、それらが土中で腐ることで象徴的に表現されているのである。
ここで、眼に見えない病魔と封じ込められる素材を[病魔]/[素材]の関係で示すと次のようになる。
痔 / ヘチマ
苦悩の源泉 / 青竹の節管
病魔 / 鶏卵
また、この種の行者の活動と深い関わりをもつ日本の各地の「民間療法」には、病魔と、それが封じ込まれる素材については、数多くの報告がある(14)。その一例を、同様に[病魔]/[素材](報告地)の関係で示すと次のように多数のものが挙げられる。
かん虫/御札(福島県)、疫/わら人形(福島県)、疣イボ/米(茨城県)、神経痛/大根(愛知県)、病い一般/焙烙ホウロク(愛知県)、痔/キュウリ(大阪府)、疣/ナス(京都府)、病い一般/ウリ(愛知、福岡県)、出産の困難/布(宮崎県)、耳の病い/穴を開けた石(全国)。
したがって封じ込め儀礼のプロセスにおいて、素人のレベルでは眼に見えない病魔が、実際に眼に見えるヘチマや青竹に封じ込まれる作業が人びとの眼の前で繰り広げられることになる。言い換えれば、封じ込め儀礼は、眼に見えない病魔を、眼に見えるようなかたちに変形し、それを人びとの前に提示するのである。
さて封じ込まれるものは病魔だけではない。病魔に対抗して治癒効果をもつと考えられているものが封じ込められることがある。
日蓮宗の祈祷には「子どものかん虫」(12)や「ぜんそく封じ」がある。本報告の寺院では、それら治療儀礼の際には、ヘチマではなく鶏卵が用いられる。鶏卵の中には病気のエージェントが封じ込められるのではなく、「法華経」を中心とした「九字」(★日蓮祈祷と真言密教の九字の違いの説明が必要)が「修法される」という。このような鶏卵に対する取り扱いを、僧侶や寺院の関係者は、「お経が入る」とか「お加持を受ける」と称している。
毎年11月1日におこなわれる「中秋(★要確認)のぜんそく封じ」とほとんど同じような儀礼がおこなわれる。しかし、病者やその代理人に持たされるのは水引が印刷された紙に包まれたヘチマではなく、朱で表面に呪文が描かれた鶏卵なのである。僧侶たちによってお経が入った鶏卵は、家庭に持ち帰られ生で食べられることが期待される。今日の食生活では、鶏卵をそのまま生で食べる機会が少なかったり、鶏卵そのものに対するアレルギーが引き起こされることが知られているので、祈祷をおこなった僧侶たちもそのことに十分配慮している。すなわち、生でなくとも加熱してもよい、白身よりも黄身を食することが重要であり、そのような問題を抱えている病人は黄身の一部だけでよいから食するように、と指示する。
ぜんそく封じにおける鶏卵は、痔封じのヘチマとは異なり、治癒を促す実体として見なされている。すなわち、痔封じの際に、祈祷を受けた夜に飲むよう指示された朱(=食紅)でできた「護符」と同じ作用をなすものと考えられる。ただし、鶏卵を用いる中秋のぜんそく封じの祈祷においても、痔の祈祷同様、朱でできた「護符」を配布する。
また、調査された寺院では実施されていないが、「頭痛封じ」(12)と呼ばれている祈祷は、土鍋状になった焙烙(素焼)を病者の頭に被せて、その上に大きな灸を焚くという手続きをする。
以上のことをまとめると、<病魔を封じ込める儀礼>には、病魔という存在が可視的で象徴的な存在である素材に対立させる原理がある。そして、儀礼の進行に伴って、病魔を素材に対立させるだけでなく、病魔を素材そのものへと変更させるプロセスを表徴させるのである。先に挙げた事例で示した[病魔]/[素材]の対立は、儀礼の時間的経緯に沿って、その関心の焦点が[病魔]から[素材]に移行するプロセスでもある【下の図】。
痔の病魔 / ヘチマのなかの病魔
病魔そのもの / 素材のなかに封じ込められた病魔
(病気そのもの) / (飼い慣らされた病気)
不可視 / 可視
病魔を封じ込める素材に生じるこのような変化の原理は、封じ込める実体が治癒力のある<お経>や<加持>に変わったとしても、それが揺らぐことはない。<治癒を成就させること>という眼に見えたり触れたりすることのできない概念や理想は、治療儀礼がおこなわれる現場の事物や、僧侶の具体的な行為を通して初めて病者(=祈願者)にとって理解可能な実体となる。[病魔]の可視化のプロセス同様、ここでも儀礼の時間的経緯に沿って、左項から右項への実体が変質すると同時に、その焦点も同じように移行する。
概念としての祈祷 / 祈祷に使われる事物や実践
法華経の功徳 / 読経・撰経・加持を受けた鶏卵
不可視・不可聴など / 可視・可聴
■ 病いの儀礼的秩序
先のようなプロセスを経て<可視化された病魔>は、便所の近くの土中に埋めることが僧侶によって指示された。このことは、「ぢ」という病いがもっている身体上における座標や、病いそのものの象徴的位置づけと密接に関係している。
痔疾は、事例において描出したように「恥ずかしい病気」であり、基本的には罹患していることを公にしないような病気である。いわば、痔疾は現代社会における「隠されたスティグマ」(Goffman,1963)になりうる。それゆえに、痔疾の治療を唱う和漢薬系の民間薬を販売する著名な会社は、通信販売と依頼者の<秘密を厳守する>という匿名性を強調することもうなづける。また、公的にはばかれる痔疾という病気も、おなじ病気を共有するものの間では、共感をもって語られ、互いの秘密の共有による連帯感が醸し出されることもよく知られている(★この病気の非公開的な性質は固定的なものではない。同じ病気を担ったものの間では、ときに正反対に公開され、解釈と評価を共感と理解をもってうけることがある。それは、痔疾が社会の公的な部分では非公開であるほど、<痔疾を語る人びと>の抑圧から解放の強度が強いという心理的・機能主義的な解釈も可能であるし、肛門とその病いという<緊張を解放させる>バフチーン流の理解を当てはめることもできよう)。
痔疾のこのようなイメージは、もともとのわが国便所がもっていた特異的な意味づけと重なる。伝統的な日本の建築において便所の位置は、鬼門を避けるなど慎重に選ばれ、またさまざまな名称をもつ便所神がいると言われた。便所は、家屋構造のなかでも特異的な位置を占めた。便所がこのような特異的な位置にあるのは、とりもなおさず排泄物に対する位置づけによるものであり、痔疾という病いは、排泄時における知覚と排泄物の異常(=血液の流出)によって感知されうるのである。
痔疾は、このようにマイナスのイメージをもつ病気のなかでも、性病とならんでもっとも最たる位置づけをされやすいもののひとつである(ただし、性病には直接的に性道徳規範からの逸脱という意味づけが賦与されるので、事情はさらに複雑である)。
痔の病いおよび、それを引き起こす痔の病魔は、このように否定的な意味を付与されているが、儀礼にとってそれは常に否定的なまま意味づけを強いられるのだろうか? 寺院内における痔封じの治療儀礼の延長上にあり、それ自体が治療儀礼にとって不可欠であると考えられる(―その理由は後述する[★必要がある])ヘチマの処理について考察することが、このことについて必要となる。
病魔の入ったヘチマは、便所の近くの土中に埋められ、一週間毎朝コップ一杯の水をその土の上に「南無妙法蓮華経」と唱えながらかける、ことが要求されたが、そのことを思い起こしてみよう。
これは、ヘチマに封じ込められた病魔を、便所近くの土中という、否定的な負の空間に閉じこめておくだけではなく、それを解放させる作業ではなかろうか? なぜなら、一週間すなわち、七日間の七は仏教[★どんな仏教??]における基本的な聖数の一部(三、五、七とその倍数あるいは相互の積)であり、朝の初水もまた特別の意味づけ(=聖なる水)をされることもまた我々の知るところである。
日蓮宗の題目は、祈祷において祈願や呪術として利用されるにもかかわらず、檀家や信者の人間にとって、それは回向や供養を同時に意味している。病魔の入ったヘチマに対して、この題目が唱えられることは、否定的価値をもったヘチマを「供養」の力(=総じて仏の慈悲の力)によってプラスの方向に変化させることである、と解釈できる。そのためヘチマに入っている病魔は、「供養」を受けることによって、本来もっていた否定的な負の空間から解放されることになる。それゆえに、「供養」を受けたあとのヘチマは、否定的な意味(そのなかには、他人に病気を引き起こさせたり、本人に再発させるという作用が含まれる)がなくなり、その後は「どこに埋めてもかまわない」ようになる。
これは、施餓鬼(16)[★要説明]において、供養をおこなうことが、人びとの延命や疫神慰撫をすると考えられていることと同じ様式をとっていることに注目すべきである。供養という作業によって、否定的な存在がそうでなくなる、すなわち、解放されるというモチーフが見られる。このような考えは、ふつう否定的な存在が幾度となく循環して、否定的な存在のまま、私たちの前にたち現われる輪廻(カルマ)と、そこからの脱出というテーマがそこに再現されていると、理解することもできる。
このような観点からみると、ある日蓮宗寺院でおこなわれた<痔封じの治療儀礼>は、たんに宗派の枠をこえて、日本の土着的な治病の伝統にまで拡大してゆくような広がりをもっている。にもかかわらず、宗派ならではの解釈の枠組みがなければ十分に理解できないことがらも多い。その例が、この儀礼における<赤色にまつわるシンボリズム>である。
病魔が封じ込められるヘチマには、赤色の線が描かれている水引のついた紙で巻かれていることが必須である。もし、ヘチマにこの紙が巻かれていなかったり、紛失した時には、儀礼を受けても、それは有効にはならず、もう一度おなじ手続きを踏まねばならないからである。また、「お経が入る」ぜんそく封じの鶏卵には、食紅でできた「朱」で祈祷用の呪文が鮮やかに描かれてある。神経痛の祈祷には、病者の患部に「朱」(食紅)で呪文が、口に呪文を唱えながら描かれる。祈祷が終了した後で渡される飲用のための護符も「法華経肝文」を食紅で書き写した紙からできているが、その作成は秘伝で相承されている。 [★日蓮宗の祈祷力における赤色のシンボリズムについて・・・・]
治療儀礼で中心となるのは加持を受けることであり、それは「お経」を受けることと「九字」を受けることから構成されている。日蓮宗では法華経(Saddharmapundarika)が最高の聖典として取う扱われている。事例においても法華経来守員品第十六(寿量品)が読経に用いられた。しかしこの場合、職能者である僧が読経したり、呪文をとなえたりする際には開祖である日蓮の編集したものが用いられ、また彼の遺文などが呪術力のある「コトパ」として用いられる。法華経は、紀元前1世紀頃の在家教団から出た大乗仏典であり、この大乗仏教により仏教は新しい宗教倫理を創造し、新しい神話や世界観を発達させたと言われる。そしてそこで説かれるのは仏陀の神格化された姿である。さて寿量品の内容は次のとうりである18)。
仏の説くことが衆生の教化の為にあり、全て真実であると述べた後にひとつの喩え話をする(「医子喩」と言われる)19)。良医が国外に旅行している問に彼の多数の了供達が毒を誤飲した。帰国した父が長薬を子供達に与えたところ、本心を失っていない子供は病を治すことができた。しかし毒が体にまわり本心を失った子供は薬を飲もうとしないので父は方策を練って再ぴ国外に出た、そして使いを遣わし「父は死んだ」と告げさせた。本心を失った子供達は悲しみのあまり本心を取り戻し父の薬を服用じた。この場合の父の行為は良医と言えないだろうか、いや良医である。一一と述べられている。従来この部分は良医は仏であり教訓として解釈するという見解がある(田村、1969)。しかし寿量晶を解釈するのに物語をそのまま受け人れて、ここで問題となっている儀礼のtrickyな内容を表わしていると指摘することは無益なことではない。また日蓮宗の別の寺院では寿量品の代わり・・・