民族(minzoku),民族集団(ethnic group)
解説:池田光穂 仮想・医療人類学・辞典
民族ないしは民族集団(ethnic group)とは、文化(言語、習慣、宗教など)で区分される集団のことである。
集団を区分する境界は、歴史的にも社会的にも変化し、また、民族集団が自己の集団から定義される場合と、国家や他の民族集団と定義される場合にも齟齬があることから、民族集団は固定的で、永続的なものではない。
ただし、近代国家制度の中では、さまざまな政治経済的あるいは法的な要因で、民族集団としての独自性が一定の権利をもって保証される必要性がある。その際には、民族集団としての文化的尊厳は尊重されなければならない対象になる。
エトニー(ethnie)とはアンソニー・スミス(1982)らの独自的な使い方で、前近代の民族――つまり本源主義な(primorodalists)的な意味での――集団を措定しているが、これは自己評価と他者評価においてとりわけ著しい齟齬のない民族集団であると理解してよい。
日本語の民族(minzoku)に相当する欧米語にはつぎのようなものがある(井上 1987:749-50)。
英語:people, ethnic group, ethnicity, nation
ドイツ語:Volk, Ethnos, Nation
フランス語:peuple, ethnie, nation
日本語においては、民族という言葉は専門用語というよりは一般的な言葉であり、後者はきわめて多様である。これが民族を研究対象とすることの多い文化人類学者にとって頭痛のたねである。
【文化人類学における民族の定義】
文化人類学・民族学者による古典的な民族とは、ある土地に集団を形成する人びとのことであった。これは、文化人類学の研究対象が、もともと先住民族つまり「土着の人」たちであり、形成期の文化人類学者の出身であった「西洋からきた文明国の人びと」ではなく、土地に張りつき、土着の固有の言語と文化を保持している人びとであったことに由来する。それゆえ、文化人類学者は、非西洋で、なるべく文明に接触したことのない、固有の文化をもつ(文化人類学者たちが考える)人びと、つまり土着の集団を捜そうとしてきたし、それが民族だと考えていた。
やがて(実際には言語の混交や交流があるにも関わらず)言語の独自性が民族集団を弁別する特徴とみなされるようになった。つまり、独立した言語集団と、ある言語グループにおける方言集団を分ける見方である。にもかかわらず、他方で言語が異なっても、ある広域的な土地においては、文化的慣習が類似のものがあり、文化による弁別が、別の民族集団を峻別する指標にも採用された。もちろん、集団は婚姻によって再生産の基礎をおくので、婚姻のルールもまた民族集団の特徴として採用される。そして、それにより生物学的な集団的特性――つまり人種的特徴――もまた、民族集団との関連性があるとも考えられた。これらの特徴を累積すると、膨大な分類体系ができあがることは想像に難くない。植民地時代後期には、このような民族集団の多様なリストができあがり、一種のバロック的とも言える状態を形成していた(cf. ベネディクト・アンダーソン『想像の共同体』1991年版、第10章「センサス・地図・博物館」を参照)。
現在の人類学者の多く理解するする民族概念とは、民族集団(enthnic group)のことであると言ってよいだろう。民族集団は現在ではフレデリック・バース『民族諸集団と境界』(1969)が与えた定義であるところの、自他共に承認された帰属意識が作用する場(容器)のことである【民族境界論の解説へリンク】。人間のグループの概念範疇であるはずの民族集団が、場や容器といった空間的表象であらわされているのは、民族が特定の空間(物理空間のみならず象徴空間や意味空間なども包摂する空間)との結びつきがつよいためである。また場や容器への帰属意識と、その境界を維持するということは表裏一体となるので、この民族集団のモデルは、基本的に他の民族に空間的に排他的であり、常に境界をつくりあげることで帰属意識の安定をはかっていることになる。
ところが、人間の集団一般には、このような民族集団のモデルに完全に合致しないものも少なくなく、また帰属意識や境界も歴史的にみれば動態的に変化している。文化人類学の専門家の中には、このモデルを批判したり、より詳しい修正モデルを提案するものもおり、またそれについての議論も多い。
このようにみると、文化人類学における民族概念は、ある土地にはりつく集団(=それにより本物の民族がどうかを識別できる)から、民族意識を共有する人たち(=民族集団であるかどうかは生活を観察するだけでなく、本人たちに「あなたは何人なのか」という問いかけをおこなわないとならない)というふうに、長期的に変化してきたことがわかる。つまり、文化人類学者たちによる民族集団の定義は、民族が確固とした集団だという意識(これを本質主義的理解という)から、民族は帰属アイデンティティにより規定されるダイナミックな過程にあると考えられるようになってきた(エドマンド・リーチ『高地ビルマの政治体系』を読めば、カチンと呼ばれている人たちがこのダイナミズムの中に生きている集団であること、つまりカチンであることは固有の属性ではなく、カチンという生き方そのものであることが、見事に論述されている――これは実際のカチンがそう意識するかどうかとは別の議論ではあるのだが……)。
【近代日本における「民族」概念の変遷】
近代日本における民族の概念は、柳田國男による雑誌『民族』(1925)の発刊の以前と以後にわけてみるとわかりやすい。
人種概念としての「ミンゾク」
1925年以前には、志賀重昴(1863-1927)、三宅雪嶺(1860-1945)、徳富蘇峰(1863-1957)などが「我等大和民族」などと使い、ナショナリズム的文脈で、他者と区別する際に使っていた。
つまり、この文脈で使われる「民族」(特にヤマトミンゾクと発話された時にみられるミンゾク)は、端的に言うと、人間の集団の特性における固有性が全面に出た概念であり、文化人類学者がいうところの人種(race)の概念として使っていることに注意すべきである。この「人種としての民族」の使い方は、別項(→リンク)で述べる国民=ネーション(nation)概念との混同――日本人が素朴に使ってきた「我々は単一民族国家であり、一つの家のようなものだ!」という表現の中に典型的に現れる――と同様に、民族(ミンゾク)という言葉が発せられた時に、さまざまな解釈を生み、議論が混乱する原因となっている。
■ 先住民の世界
フォークとエトノス:柳田國男の理解
それに対して柳田は1925年前後――つまり岡正雄と共に雑誌『民族』を刊行する時期(1925-29)――に講演をおこない次のように述べている。Volkは単数形で「我が民族」のことを、Ethnosは、自国以外の多くの民族を研究するものだと主張した。
柳田には、海外経験をもつ知識人と共通する外国語コンプレックスとそれと無関係ではない西欧諸国家との「対等」の立場に日本をひきあげるべきだという考えるふしがあった(村井 2004)。柳田の独自性は、これらを西欧の学問の直輸入ではないオリジナルなものをうち立てようとしたところにある。もっともこの独自性は、また日本の民俗学/民族学の発展にとって功罪あわせもつ効果をうんだ。
功罪のうち功はすでに多くの書物や文献において主張されているのでここでは省略する。
問題は罪のほうである。柳田の枠組は、後世には国粋的で経験主義的な民俗学研究と、異国趣味で自国の状況に対する省察を欠く民族学研究へと二極分解をもたらした。
【文献】
青柳まちこ、1997、「いま人種・民族の概念を問う」『民族学研究』62(2):102-115.
スチュアート ヘンリ(本多俊和)『民族幻想論』解放出版社、2002年
この本は私はウェブページを作成した後に出版されましたが、日本学術会議の人類学・民族学研究連絡委員会の「人種と民族」の概念を検討する委員経験者であるこの本は、人種と民族を考える重要な本です。是非一読してください。
池田光穂「先住民の世界」(サイト内リンク)
____「日本文化人類学小史」(サイト内リンク)
____「民族境界論」(サイト内リンク)
村井 紀『南島イデオロギーの発生』東京:岩波書店、2004年
この本における村井の柳田批判(最初の版は1992年刊)には、論拠が不十分で憶測によるものが多いという民俗学サイドからの反論があります。しかし、村井の批判を通して、当時の民族学と民俗学の区分の誕生や、それらの両学問と日本の植民地主義・帝国主義の文化観・人種観・民族観など関係が論じられるようになりました。そういう意味で重要な本です。
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